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2024.08.28

キラリワークス・三藤インタビュー【前編】

キラリワークスリーダー三藤にインタビューしました!

福山・府中の就労移行支援/就労継続支援B型事業所「キラリワークス」です。

 

このページでは、キラリワークスができるまでの話を、キラリワークスリーダーの三藤にインタビューしてまとめました!ぜひ一度読んでみてくださいね^^

 

三藤さんってどんな人?

三藤理沙

アドバンスグループの児童福祉事業「きらり事業部」の部長。

福山市・府中市に3箇所ある療育施設や放課後等デイサービスの立ち上げをはじめ、キラリワークスの発起人でもある。息子の発達障がいをきっかけに、独学で療育について学ぶ。肝っ玉母ちゃんのような愛のある人柄で、子どもたちはもちろん、親御さんからの信頼も厚い。

キラリワークスの原点を探っていきます!

「インタビューとか苦手なんよなぁ、、」と呟きつつ、昔を思い出しながらお話ししてくれました。

ーキラリワークスの立ち上げはいつから考えていたのですか?

三藤さん:障がいを持っている息子に対して、自宅療育のようなことをしていた頃、療育施設を自分で立ち上げたい!という気持ちが芽生えて。息子の将来を考えていた先に、ざっくりだけど、働く場所やシェアハウスをのようなものがあったら、という構想はあったかなあ。

ー息子さんは、いつ発達障がいと診断を受けたんですか?

息子のヒカルくん

三藤さん:5歳のとき。保育園の帰りに息子が「僕はバカなん?」と聞いてきて。母としては、「園でいじめられとるんかな」って、そっちの心配があって。でもよくよく聞くと、「みんなから”そっちじゃないよ”とかって怒られるんよ」って。「あーなんだ、いじめられてるわけじゃなかった」ってホッとしたんよね。

ーそれまでに何かサインのようなものはあったんですか?

三藤さん:全然っ!!ただ、歩き始めたと思ったらすぐ走り出したり、キャラクターものは興味がなかったり。かと思えば、動物のゾウは異常に大好き。第一子は女の子だったし、男の子はこんなもんなんかなって考えてた。今思えば、保育園と家でのキャラクターがまるで別人だったことや登園時に毎日泣いていたこととかはサインだったのかもなあと思う。

ヒカルくんの象コレクション

ー発達障がいと診断されたとき、どんな気持ちでしたか?

三藤さん:やっぱり涙が出てしまった。それでね、その泣いとる姿を見て、息子が「ママ、ごめんね」って謝ってきたんよね。それを見て「なんでこの子が謝らんといけんのん、なんも悪いことしてないのに」って思って。この息子からのひと言で私は救われたなと思うんよ。

ーごめんね、と謝ってきたことによって救われた?

三藤さん:声をかけてくれたことで救われたんじゃなくてね。「僕はバカなん?」って聞いてきたあの日まで、息子はどんなキモチで過ごしてきたんじゃろ、って思い起こさせてくれたし、子どもに対して条件を付けて、ふつうを求めてしまっていたことを申し訳なく思った。発達障がいだっていいわけじゃん、って。なんとかせんといけん!と思い立って、一気に気持ちが切り替わったんよ。

ーなんとかせんといけん!って切り替わるのがすごいですよね。

三藤さん:これは私の特性じゃけ。ゼロか100なのよ、私(笑)私はラッキーだった。息子からSOSが出たから。息子自身から出たものだったから、親としては「なんとかせんといけん!」って思えるじゃん。子どもからのSOSが出るのって稀だと思うから、私はラッキーだったと思うんよね。

ーそこからどういう行動を起こしていったんですか?

三藤さん:なんとかせんといけん!と思って、ネットを駆使して色々探していたら「療育」っていうものがあることを知ったのね。10数年前。動物が好きな息子に合うかなと思って、馬のホースセラピーを使った療育施設に出会って通いだしたんよ。

ー通わせてみて、目に見えるような効果はあったんですか?

三藤さん:その時は何の目的意識もなく「ちょっとでもこの子のためになるなら・・」って通わせてて。でも療育を利用するようになって1年経ったくらいに、保育園帰りの息子が園の制作物を持ってきて「ママ見て!僕って天才じゃろ!」って言ったんよ。この時に「療育ってこれじゃ!」って。療育ってこの子の自信を取り戻してくれるものなんじゃって、ハッとしたんよね。

ー元々「僕はバカなん?」から始まってますもんね。

三藤さん:そうそう。それまで、これやってみる?あれやってみる?って誘っても「僕はいい!無理!」っていうのが当たり前だったから。ああ、療育って、この子なりの歩み方で「これでいいんじゃ」「これで喜んでいいんじゃ」って思うことができるようになるところなんだと思って、療育って大事じゃなと思った。

ー1年後の変化って、何が一番影響してたと思いますか?

三藤さん:療育施設には通わせていたんだけど、私も家で、作業療法とかペアレントトレーニング、発達支援コーチの勉強をし始めて、家庭療育みたいなことはしてた。褒め方とか工夫したり、待つトレーニングをしたり。

ー待つトレーニングって何ですか?

三藤さん:これは障がいの一つの「こだわり」という部分ではあるのだけど、息子は本当にゾウが大好きで。いろんなところにゾウを見に行って、餌やりの最前列に並ばせて、何時間でも待つっていうトレーニングをしてた。

ー最前列に並んで待つトレーニング?

三藤さん:そう。これ、今の「きらりぷらす」とかの指針で「好きなことでできることを伸ばして、好ましい行動を増やす」っていうのがあって。手を離したらどっかに行ってしまうような多動の息子でも、大好きなゾウに餌をあげられるなら、何時間でも待つことができたんよ。もちろん、待つ間に話したりゲームをしたりと工夫はいるけどね。この経験を繰り返していくと、自然と待つことができるようになった。

ー好きなことの中でできることが増えていったんですね。

三藤さん:好きなこと以外だったら、覚えれんかったこととか考えられていなかったことができるようになるというか。それが私にとっても学びだった。

象好きが高じて1日飼育員に。

ー小学生になってからはどうだったんですか?

三藤さん:小学生になってから、家事援助のような訪問サービスをお願いし始めた。学校でも、療育施設でも、家庭でもないところで使う「日常生活のスキル」を身につけてほしくて。

当時の家庭療育の様子。紐通しに挑戦中。

ーどんなことをしてくれるサービスだったんですか?

三藤さん:本来の役割としては、子どもの見守りや食事作りとか身の回りのお世話が主だったみたいだけど、私はそれはいらんかった。この子は将来誰かの支援を受けながら生活していくかもしれん・・って考えたら、「誰かに助けを求めるスキル」や「誰かに言われて行動するスキル」が必要だと思って。どうにか療育の要素を入れられんか、と「これをやらせてほしい」というリストを作って渡してた。

ーリストまで自作!どんな内容だったんですか?

三藤さん:誰かの指示を受けて動くというスキルをつけさせたくて、それについて指示の入りがどうだったかとかチェック付けてもらう、みたいな。それを学校や他の施設とかにも無理を言ってお願いして、把握できるようにしてた。

ーその家庭療育の延長に「きらりぷらす」の立ち上げがあったんですか?

三藤さん:悶々と「自分で療育施設を立ち上げたいな」という思いは持ってた。自分も療育に通わせる目的意識が見出せなかった時期があって、「この子にとってどういいのか」とか「どうやったら困り感を解消できるんじゃろ」っていうお母さんのモヤモヤした気持ちを解消できたら、って思い始めてね。

【きらりぷらすについて】

ーもうちょっとお母さんに寄り添うような施設が作りたかった?

三藤さん:うーん、もっと親御さんが発達障がいそのものを理解して、子どもの特性をしっかりわからんといけないなっていう持論みたいなのがあって。そういう療育があったらいいなって。

ーすぐ実現に至ったんですか?

三藤さん:現会長と元々知り合いで、企画書をまとめて説明しに行った。現社長にも話をして、トントン拍子で実現することになって。

ーその時には、キラリワークスのことも構想にあったのですか?

三藤さん:まさにこのプレゼンの時の資料の最後の締めくくりが「息子に将来元気に働く大人になってもらいたい」だった。息子もだけど、きらりの療育施設で育った子たちが大人になって帰ってこられる場所をゆくゆくは作りたかった。

ー三藤さんがいつも口ぐせのように言う「元気にはたらく大人になってほしい」。これにはどんな思いが詰まっているのですか?

三藤さん:月に3万円でも、5万円でもいいんよ。自分の働いたお金から税金をちょっとでも払えたら、療育を税金で利用してきた分の恩返しになるだろうっていうのと、療育を受けてこなかった人でも社会の一員という意識が芽生えるかなと思ってるんよ。だから働くって大事なんよね。